熊谷家住宅
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熊谷家はの先祖は毛利家の家臣であったと伝えられ、江戸時代初めから銀山に住み銀山附役人(ぎんざんつきやくにん)を
務めたとされています。1729年(享保14)、旧大森町(現在の大森の町並み一帯)の田儀屋(たぎや)が熊谷家の名跡を継承し、
このときに旧大森町に熊谷家が成立したとされています。家業である鉱山業や酒造業とともに代官所に納める年貢銀を秤量・検査する
掛屋(かけや)、幕府直轄領である石見銀山御料の支配を担う郷宿(ごうやど・ごうしゅく)、代官所の御用達を務め、
当主は代々大森町町年寄に就くなど石見銀山御料内で最も有力な商家でした。
熊谷家住宅は、1800年(寛政12)におこった町並みの大火後、1801年(享和元)に建築されました。以後、土蔵などを増築し、
1868年(明治元)に屋敷が整いました。2001年~2005年(平成13~17)に明治初年の姿に保存修復が行われています。
江戸時代後期から末期にかけて御料の有力商人の身分や生活の変遷をもっともよく示す民家建築です。
国の重要文化財に指定されています。
熊谷家住宅の見取り図です。原図は案内書から拝借しています。

二階は主家の前より部分が該当します。

数字は以下の写真の撮影場所です。

⑥の場所で住宅の大体の説明があります。あとは自由に見学できます。

熊谷家の玄関口です。
商家には門はありません。
通りから直接玄関(中央の入口)や
勘定場(手前暖簾の入口)へ出入り
します。

「田儀屋」(分銅印)カフェとして、
土間で軽食が摂れるようになっています。

玄関口には3月と言う事でひな人形が
飾られていました。

店の三和土で正面奥が勘定場です。

左手は玄関に続く部屋です。

勘定場の様子です。
少しピンボケになりました。

勘定場から玄関へ続く部屋です。
左手が玄関になります。

玄関の床の間です。

左手の柵状の物は雛飾りです。

奥の間とその手前の控えの間です。
この奥座敷は1801年(享和元)に
建てられた時のまま残されているそうです。

ピンボケになってしまいましたが、
控えの間でこの住宅の説明をして貰いました。

縁側から庭を眺めています。

左手には北道具蔵と小蔵があります。

右手前は手水鉢で左手奥に井戸が
見えています。
井戸の奥は湯殿になります。

北道具蔵と小蔵です。

湯殿の様子です。
湯桶が備えられています。 

茶室です。

衣装蔵です。
熊谷家で使われていた道具類が
展示されています。
室内は蔵造となっています。


東道具蔵です。
熊谷家では酒造りもやっていたので、
その設備や道具類が遺されています。


台所です。
当時の商家の食事の様子を模型で
展示しています。
明治初めのころの台所に
修復されているそうです。
二階の座敷の様子です。
台所傍の階段から上がった所の
眺めです。

これらの座敷は「郷宿」に利用されて
いたそうです。

左手奥に大正年代に熊谷家に
嫁いできた16代目夫人の嫁入り道具も
展示されています。
熊谷家16代目夫人ヒサ子さんの
嫁入り道具の一部です。残されていた物を
展示してあります。

ヒサ子さんは1936年(大正11)10月に
輿入れされ、熊谷家ではこの家で暮らした
最後の人です。2005年に亡くなっています。
勘定場から眺める三和土です。
梁組が立派です。
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